多田焼は江戸時代元禄13年(1700年)、岩国吉川家の御用窯で、将軍家への献上品として生まれた焼き物の名称です。吉川侯は同年、京都より陶工を招き、岩国市多田地区に築窯して、家臣にその技法を伝授させたといわれています。
吉川家の記録に、窯が途絶えるまでの約100年間に、1000点近くの多田焼が献上された記録が残されています。しかし、現存するのは岩国市内に数点しかないという幻に近い焼き物です。
主に茶碗、花生などの茶道具が焼かれ、数年毎に将軍家へ献上されております。その特徴は端正な形に、青磁釉がかかり、表面に『貫入』と呼ばれる細かいヒビがあることです。窯は寛政年間に途絶え、以後何度か再興が試みられましたが、いずれも長続きしませんでした。 1973年、初代雲渓(1931~1985年)が、岩国市多田で、古文書をもとに今の多田焼を復活させました。1981年、岩国市美川町河山に窯を移転後、二代雲渓が後を引き継ぎ現在に至ります。
多田焼の特徴
江戸時代の多田焼の特徴は、すっきりした端正な形に、当時としては珍しい青磁釉の貫入が生み出す格調の高さにありました。
現在はこれに加え、透かし彫りや陽刻など様々な彫刻による表情の豊かさが特徴になっています。
多田焼の色
多田焼に使用する陶土は灰白色をしています。 この土は焼成時、青磁釉と合わさることで独特の緑色を作り出します。 この緑色は、登り窯で焼成する際の還元炎の火加減によって、時には麹塵(きくじん)色へ、時には舛花(ますはな)色へと変化し、作品に多様性と深みを生み出します。
二代 田村雲渓
多田焼の伝統を受け継ぎながら、修行先で身に着けた彫刻や透かし模様を取り入れた、多田焼の可能性を追求した作品作りに取り組んでいます。
- 1954年
- 山口県岩国市に生まれる。
- 1975年
- 広島商船高等専門学校卒業、昭和海運に外国航路の航海士として入社。
- 1977年
- 母親の急逝により、下船。初代雲渓に師事する。
- 1982年
- 渡韓、韓国人間文化財(人間国宝)安東五氏の窯で彫刻を学ぶ。
- 1985年
- 全国陶芸展で文部大臣賞を受賞。
二代雲渓を襲名する。
- 1987年
- 京都市大丸百貨店で個展を開催。
- 1988年
- 豊橋市松葉画廊、北九州市小倉井筒屋百貨店で二人展を開催。
- 1989年
- 東京都青山梅窓院で二人展を開催。
- 1990年
- 徳山市近鉄松下百貨店で個展を開催。
高知市要法寺、広島市そごう百貨店で職人展を開催。
- 1991年
- 京都市大丸百貨店で個展を開催。
東京都浅草伝法院、佐賀市廓林亭で職人展を開催。
- 1992年
- 新潟市北方文化博物館で職人展を開催。
- 1994年
- 水戸市民会館、高知市県民文化センターで職人展を開催。
- 1995年
- 東京都銀座かねまつで職人展を開催。
- 1997年
- 東京都有楽町交通会館で職人展を開催。
山口市ちまきや百貨店で個展を開催。
- 1998年
- 長野市八十二銀行で職人展を開催。
- 2006年
- 柳井市文化福祉会館で個展を開催。
- 2007年
- 岩国市サンライフで個展を開催。
- 2008年
- 広島市天満屋百貨店で個展を開催。
- 2010年
- 周南市近鉄松下百貨店で個展を開催。
- 2012年
- 広島市そごう百貨店で個展を開催。
- 2013年
- 岩国市臨川館で個展を開催。
- 2014年
- 山口市井筒屋百貨店で個展を開催。
- 2015年
- 柳井市文化福祉会館、岩国市いろや画廊で個展を開催(以後毎年開催)。
- 2017年
- 下松市きらぼし舘で画廊で個展を開催。
- 2018年
- 岩国市五橋文庫で多田焼展開催。
- 2019年
- 山口市井筒屋百貨店で個展を開催。